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私のアトピー遍歴

目次

幼少期から学生時代

昭和生まれのアラフィフ。物心ついたころからアトピーで、定期的に皮膚科に通って、ステロイドの塗り薬を塗るのが当たり前だった子供時代。

症状が出やすいのは膝裏、脇、首。一般的にアトピーが出やすい箇所。

薬を塗っていさえすれば、アトピーだと悟られることもなかった。

母は朝昼晩3食、手の込んだ日替わりメニューを作ってくれていた。和食もあったけれど、どちらかというと洋食や中華が多く、牛乳やパン食、ハムなど、今振り返るとアトピーに良くないといわれる食材が食卓にのぼっていたが、なにも特別なことはない、昭和の一般的な家庭の風景だったと思う。

日々、ゴム飛び、縄跳びに明け暮れる比較的活発な子供。子供のころの私にとって、アトピーは特に大きな問題ではなかった。

思春期以降、まぶたや口の周り、そけい部にも広がっていた。ステロイドで症状を抑える方法しか知らない。親には自然療法など代替医療への興味も知識もなかったし、ステロイドさえ塗っていれば一時的にはおさまるので、そうするしかないと思考停止状態であった。

年頃になると、ステロイドを下地替わりに化粧をし、周囲の若者とたがわず、煙草にお酒、ジャンクフードを楽しむ。

結婚後、最初の脱ステ

24歳で結婚、出産。一人目の子には、少しアトピーが出ていたが、症状が軽かったので漢方の塗り薬である紫雲膏や、神仙太乙膏で対応。

記憶が曖昧だが、その時期には西洋医学の薬に頼ることに疑問を持ち始めていたから、ステロイドの使用を避けたのだと思う。

漢方の塗り薬がすぐに、劇的に効いた感はなかったが、元々酷い湿疹ではなかったため、ほどなくして子供の湿疹はおさまっていった。

自分も漢方の塗り薬を試したが、ステロイドなしではすぐ悪化してしまい、その時には自分には効かない薬という印象で、結局ステロイドを頼る生活。

2年後、2人目の子を産んだ後、突如喘息症状が出始め、ひどい肺炎を起こし入院。

幼子をかかえ、日常生活に支障をきたし、これまでの生活を変えざるを得ない状況に追い込まれた。

喘息と肺炎ときたら、まずは禁煙するしかない。何度も失敗を繰り返し、苦労の末成功。

このころから、徐々に自然治癒、自然療法への興味が深まる。

医療への不信感

喘息もアトピーも、病院に行けば『ステロイドで一旦炎症を抑えて、徐々に薬を減らしましょう』と言われるが、減らせた試しがない。

一旦はおさまるが、すぐぶり返し、じわじわ患部は広がる。薬の強さも強くなることはあっても、弱いものに戻すことはできない。

上手くコントロールできてないのは、塗る量が少ないからだと言われ、指示通り行っても変わらない。

そのうち、保湿のためのワセリンにも反応し、皮膚がむず痒くなってしまうようになるが、お医者さんにはそんなはずはないという。

こちらの体の反応は紛れもない『事実』なのに、話が噛み合わない。

一人のお医者さんに年単位で診てもらったこともあるし、引越しのたびに複数の皮膚科にも通ってきたが、どこも大差はない。皆同じガイドラインに沿った治療をするので当たり前なのだが。

やがて心身ともに行き詰まり、30歳のころ自力での脱ステロイドを決行。

リバウンドで体中からリンパ液が出て、起き上がれない日も。そのまま3か月くらいしのぎ、

リンパ液の滲出はある程度落ち着いたものの、体中の皮膚が乾燥し、常に粉を拭いて、赤く炎症し、痛痒い状態でその後数年すごす。

当時、かなり苦しい状態だったが、厳しい食事療法で有名な西式甲田療法は、とてもではないができないし、やりたくないという気持ちが強かった。

その他漢方を試すも、元来の胃弱なので大量の漢方の煮汁を飲むのが苦痛。なかなか成果が見えない中、こつこつ続けることが苦手だったのと、費用もかかることから挫折。

食事に関しては、自然食品店で食材を購入し、日常的に、主に手作りの和食を食べるくらいの気づかいをする程度で、甘いものや外食、パン食を完全に断つことはできなかった。むしろ、症状が出ていて辛い時ほど、かかるストレスも大きく、食でストレス解消したくなる悪循環に陥りがちだった。

再び、ステロイドを使い始める

36歳で3人目、38歳で4人目の出産のあと、アトピーが大悪化。育児もままならない状態に陥り、さらには生まれてきた二人の子もアトピー。

育児もままならない状態で、不本意ながらもステロイド薬に頼る生活に逆戻り。乳児だった子供たちのアトピーも、頬から汁がとまらないような酷い症状だったので、ステロイドに頼ってしまう。この時は罪悪感で地獄のようにつらかった。

約5年ぶりに塗ったステロイド薬は驚くほど効いた。弱いランクのステロイドですぐにツルツルの肌に。しかし、あっという間に効きが悪くなり、塗る量、頻度ともに増えていく。

再び、ステロイド薬で症状を抑え続けることへの違和感や不安に、追い詰められる。

塗っても地獄。塗らなくても地獄。

入院

再び脱ステを望み情報収集する中、岐阜県のナチュラルクリニック21を知る。

アトピー脱ステロイド専門入院自然...
HOME アトピー治療を免疫療法・自然療法・食事療法・心理療法で行う、岐阜県高山市にあるアトピー脱ステロイド専門入院自然療法『ナチュラルクリニック21』のホームページです。

先述の通り、1回目の脱ステは自力で行い、自宅で不安と孤独、症状の辛さは2度とできるものではなかったし、今回は2人の子供たちもいる。専門家の管理のもと断薬できる、この病院に絶対入院すると決意。

入院費用やその他諸々1年の準備期間を経て2017年に入院。1回目の脱ステの時と同様、激しいリバウンドに見舞われるが、バイオ入浴(有効バクテリアを培養したお風呂に入る)をすると、リンパ液が出るほどただれた患部がお湯に包み込まれ、幾分か痒み、痛みが楽になるので、助かった。

毎日食事以外の時間は、子供たちと交代で病室の浴室にこもりバイオ入浴をしつつ、つらいリバウンドの時期を乗り越え2か月で退院。

退院後も自宅でバイオ入浴を続け、波はありながらもステロイド薬なしで暮らせるようになり、この入院によって本当に心身共に救われた。

一緒に入院した次男は、この入院以来、時々部分的に湿疹が出現するも、なにもせずに治る程度で、良い状態が保てている一方、

私と次女は、薬なしで日常生活は送れるものの、常に顔、首、手足の関節にはしぶとく痒みとそれに伴う掻き傷、かさぶたがある状態で、それ以上の改善ができない状態が続く。

2度目の入院

1度目の入院から4年後の2021年の夏、関節から汁が出るような大悪化を起こした。

やはり、最終的には食事療法で根本的な体質改善を行うしか道はないのではないかとの思いに至り、

断食で有名な、西式甲田療法を取り入れている福岡県久留米市の愛康内科医院へ入院。

https://aikonaika.or.jp

私はいきなり断食できる体の準備が整っていないということで、青汁、玄米クリーム、軽めの玄米菜食、すまし汁や寒天の組み合わせのメニュー。その他、西式の体操もまじめに行う。

1か月ほどの入院で、日常生活が送れるくらいまでに回復し、退院。

その後、本当は3か月以上は継続させたい食事療法だったが、退院後日常では続けることができなかった。

自宅である程度できても、外食したり、キャンプに行って好きに食べたりすると、それがきっかけで崩れてしまい、療法にもどれなくなる。

現在

それから4年。全身の肌にうるおいがなく、特に首や関節にはかゆみがあり、かきこわしがある状態が常態化していた。それでも、リバウンドや大悪化の時期と比べたら、比較にならないくらい楽。夜も寝られるし、日常生活がおくれているそれだけでありがたい。

2024年の夏ごろ、それまで依存的に摂取していたコーヒーと甘いものを断つことができて、2か月くらいすると『まったくかゆみを感じない日』が増えた。

掻きこわしかさぶたがあるのが常態化している関節も、かさぶたが無く皮膚が柔らかくなっていた。

そして10月。海に入った時に、まったくしみない!

海がしみない・・・こんな当たり前のことが、泣きたいくらいの感動だった。

『無感』というのは、これほどまでに快適な状態なのか!

アトピーではない人達は、こんなに快適な状態がデフォルトなのか!

なんて楽なのだろう。

残念ながら、年末年始の食の乱れからか、2025年2月現在は、首、まぶた、ひざうらにアトピー症状が出ている。

まだ、ちょっとしたことで浮き沈みがある不安定な状態をかかえているが、昨年秋に味わった『無感』の状態を取り戻すべく、そして根本的な体質改善を望んで、2025年2月1日より、今まで挫折してきた食事療法に取り組んでいる。

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この記事を書いた人

このブログでは、食事療法が、体質改善にどのような影響を与えるのかを探るため、実践の記録を綴ります。

カテゴリー【今日の記録】には、皮膚疾患の患部の写真を掲載します。ご了承ください。

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